活動報告

2012.01.02

●自宅で年賀状を書きながら・・・

孫たちが3人来ているため元旦の恒例となっていた年賀状書きがはかどらず、今年は2日となってしまいました。朝から書き始めたところ孫の誘いで時間が取れず、午後は孫たちが出かけたので書き始めると年始の来客が続きましても中断、そうこうしている間にみんなが揃い早めの夕食となり結局深夜までかかる始末で、能力のなさを悟らされました。


2012.01.02

●緑高庭球部「白球会 打ち初め会」参加

 元旦恒例行事の一つとなっている打ち初めですが、今年は例年より在校生の参加者が多いように感じました。短時間ではありましたが、太田前同窓会長、恩師の大木先生、同級生の下妻代表や山野先輩を始めとする顔なじみの先輩後輩たちとテニス以外にも色々な話しが出来て、「厳しいなかでもみんな頑張っていて、同じ考えの仲間がいることを感じ元気をもらったひと時でした。その最中に『かなり大きな地震の揺れに見舞われ』、元旦早々であることもあり、思わず『今年一年が無事であれ!』と祈らずにはいられませんでした。


2012.01.02

●噂の聞かされびっくり!『なんとしても時間を作らなくては』

元旦から近所の大型スーパーが開いていると言うので「自分のように元旦から来るお客さんはあまり居ないだろう」と思いながら一人で出かけてみましたが、予想に反してたくさんのお客さんがいて大盛況でした。赤塚中学区の何人もの地元の人たちに久々会うことができて話がはずみましたが、結構厳しい近況をお話した数人の方から、『野村さんは議員を辞めても会社をはじめて奥さんも娘さんも一家で経営していて悠々自適の生活をしているってもっぱらの噂よ!』と言われ「びっくり」驚きました。
余裕がなくて礼状やあいさつ回りも出来ずにいることをいいことに『根も葉もない噂』を立てられてしまっているとしたら?『なんとしても時間を作ってあいさつ回りをしなくちゃ』と思わされた一こまでした。


2012.01.02

●八幡宮で初詣

 家族で新年のあいさつ後朝食をすませ、孫3人の手をひきながら妻と一緒に参拝しました。
玉串を奉奠し『今元気でここに存在できていることに感謝をのべ、災害が再発すること無いよう、先行きの見えない日本の政治・経済を始めとした国情が回復するよう、世界の平和と安泰を祈念しました。』
ラッキーなことに、田所宮司さんをはじめ神官さんや巫女さん達と新年の挨拶を交わすことが出来ました
例年だと芸術館のカウントダウンに参加してその足で参拝するため深夜の参拝となってましたが、今年は千波湖公園広場での復興カウントダウンというイベントの主催者の一人であったため芸術館へは行けずに、午前9時頃の参拝となりました。その結果、長蛇の列の参拝者は例年とは違う顔ぶれで、その中に居た久しぶりの知人たちにも会うことが出来て嬉しく、9時で良かったなと思いました。


2012.01.02

●千波湖元旦マラソンを観戦

 開会式に参列された市教育長、市スポーツ振興協会役職員、陸連役員、市内小中学校長・教頭先生等の関係者の方に年始の挨拶をし延べ2350人の健康人が参加という中で岡田参議議員、加藤県議が走る第1組の350人の勇者にエールを送り後は落ち着ける「黄門茶屋」でおいしい甘酒とお茶をご馳走になりました。
水戸陸協の桜井会長にも会い、「水戸でのフルマラソンを計画中」と聞き
、以前2月に開催されていたハーフマラソンの「黄門マラソン」を議会で質問し自分が提案者であったことなど話しながら賛意を伝えました。「前に参加したことを思い出し(何年ぶりかな?)」などと思いながら第3組のスタートまでで引き上げてきました。後にメールで親しい友人が母子で参加していたことを知り、知らずに帰ってきてしまい応援できなかったことを悔いました。「来年こそ参加するぞ!」


2012.01.01

大晦日から元旦の活動報告

復興支援・年末年越しカウントダウン『ライトアップ★MITOに参加


震災による沈滞ムードを吹き飛ばして新しい年を迎えるための一助になればと水戸葵LCの若林さんと水戸LCの鈴木さんが言いだしっぺとなり、ライオンズクラブ市内6クラブと水戸青年会議所、水戸商工会議所青年部を中心とした実行委員会により開催しましたが、私は水戸葵LCの第1副会長という主催者であり協賛者の一人として参加させて頂きました。イタリアのボローニャの友人の子息の客人ルイ君を連れて参加、ライブ→お笑いプロレス→くじ引き→年越しカウントダウン→年忘れ花火大会の間に地元のB級グルメのブースで食べ通しの状態で参加者2000人の一人として大満足の時を過ごしました。花火の後エンディングまでの間にルイ君を友人宅へ送ってきて午前2時過ぎまでテントをたたんだりと後かたづけをしてお開きまで充実の時間でした。


友人とともに護国神社参拝→元朝式→元旦参り 『神社のお社の前から元旦の日の出の時刻に参観すると、石ただみの先にある鳥居の真ん中に太陽が昇ってくるという知る人ぞ知る名所』であることを知りながらも日の出まで待てずに一度帰宅し、冷え切った体を温め着替えに帰り戻って元朝式→元旦参りに出席と分刻みでのハードスケジュールでした。


千波湖公園梅林広場の清掃に参加 ライトアップ★MITOの会場と花火の打ち上げ場の清掃のため朝7時から初清掃に参加するが大したゴミもなく市民のマナーの良さを実感しました。


2012.01.01

●落選から昨年末までの約7か月の活動状況についての放置状態をお許し下さい。

やっと少し時間がとれそうな状況になってきたので近い内に編集してアップさせて頂きますので、今回は雑ぱくな報告のみさせて頂きますがお赦し下さい。


5月末まで伸びた市長選挙に敗戦の後、泉町を始めとした3カ所の事務所を閉鎖、16年間お世話になった後援会事務所を引っ越し等々の雑務に加え、未払いのままでいた印刷代や電話料等の支払と借入金を分割にしてもらったりなど後始末に追われる3か月でした。


3月1日で辞職したことで2月分の給与を頂いた以降は無給の状態の中で経費だけがかさみ続け、敗戦後も義理張り等の不祝儀や通知を頂いた行事等への参加は現職の時と変わらずという状態で、安いと思いながら頂いていた議員報酬がどんなに有難かったものか、負け選挙がこんなにも大変なことだったのか、と思い知らされた毎日でした。


その一方で有難いと思ったことは、市役所がちりぢりになっていることも加えてか現職でもないのに市民のみな様からの相談が変わらずに寄せられてくること。そして、それらの解決にあたる際に行政を始めとした関係者の方々が、現職時代と何ら変わらずに解決に向けて協力頂けたことや、会う方会う方が、『1票入れたんですよ。めげずにまたやるんでしょ。変わらず応援してるから頑張って下さいね。』と声を掛けて下さることでした。もっとも事業主等の経済人の方々の声は『相手の年令と取り巻きの組織を見たら勝ち目がないことは明白だから、市長は止めた方が良い。』という方が多かったですが、いずれも『私のことを考えての有難いお言葉。』には違いない分けで感謝しなければと思わされました。


8月の半ばからは「役員を務めていた障害者の福祉施設の職員の長期療養休暇により、代替え要員としての活動の場が現れ、知的等の障害のある方々への送迎、日中支援、食事や入浴の介助、排泄の支援等の業務をする」福祉の現場に常勤で勤務することになり、市議になる前の職でもあった福祉分野で『良い汗』をかかせて頂いている毎日です。無職の状態から改善されはしましたがルール通りの給与の薄給さに驚かされ、福祉分野の学校を卒業しながら他分野に就職している人や福祉分野に進学を希望する若者が激減しているという昨今の実状の要員を身をもって知らされました。


2011.05.15

一騎討ちから4つ巴戦に早変わり、一寸先は闇か?光明か?


5月15日(日)
被災した回天神社の復旧工事の起工祭があり参列祈願する。水戸市の災害対策本部や市役所へ災害関連の市民相談の件で何度も訪ねていながら一度も会うことのなかった加藤水戸市長を見かけた。「災害対策で大忙し・・・」と周囲の人に話しているので「どこにいらしたんですが?何度も市役所に行ったんだけど一度も姿を見ないので心配していたのであすが、元気で良かった。」と言うと「おかしいなズーット役所に居たよ。」と不満げな様子で、玉串を奉てんするとすぐに退席された。「高橋さんに代わって加藤市長が続投する」等のまことしやかな噂が出てきた時だけに、加藤市長のやる気を感じる行動だった。もしかして再び選手交代?
もっとも私にとっては元に戻るのみなので、ただひたすら使命を全うするのみだけど。

5月10日(火)超びっくりサプライズ。4月20日に水戸芸術館のレストランでの政策研究会水曜会の席で互いにエールを送り合っていた川崎篤之さんが記者会見で突然の出馬表明をした。私には何の挨拶もないままの出馬表明で、1月20日のJC賀詞交換会の席上で市長選挙には出馬せず市議として頑張る旨の挨拶をして握手し以来連携していた上に、民主党の市議会選挙の推薦候補でもあり党も反対していると聞いていただけに、「なぜ今?スポンサーは?」など疑問点だらけの中での出馬は憶測もささやかれており、「票を食われるのは高橋さんも同じで大きなマイナス要因ではない」と強気の発言をしたものの激震となる。願わくば余震が続かないで静かになってくれれば幸いである。

5月7日(土)昨日、共産党県委員会書記長の稲葉修敏さんが市長選に出馬表明されたことを新聞報道で知った。私にとっては共産党さんの候補が決まらないため特に国田や柳川地区等の農村部において一部の保守系市議等により「野村まことは共産党だ。共産党と政策協定を結んでいるから共産党が候補を出さないんだ。高橋候補は一部の有力市議の言うなりと言われているが野村が当選したら共産党の言うことを聞かざるを得ない」等と言われていただけに、「福祉と防災のまちづくり」は政策面で合致するため競合はするものの、出馬されることでデマであることが明らかになるし、また、常澄地区から出馬の高橋さんの親兄弟が水戸市の公共事業の請負を生業としていること、建設業界や一部の有力市議が中心で応援していること等から、日増しに「野村を応援する」との話が寄せられ、やっと戦いの態勢が出来てきたので陣営の意気が上がりつつあっただけに、むしろ歓迎すべきと考えており、頑張ります。


5月5日(木)
ぴったり嫌がらせと思える問い合わせがなくなり穏やかな毎日に戻る中、被災した水戸芸術館の復興を願ってのサロンコンサートが佐川文庫で開催され、久々に妻と一緒に参加し、至福の時を過ごしました。
偶然か故佐川一信水戸市長を紹介する白黒の大きな写真パネルの前の席となり、故佐川市長から水戸を頼むよと言われているような気がして緊張した。水戸市芸術館や総合教育研究所を創りながら志し半ばで若くして亡くなられた佐川さんのやり残したことを受け止めて市政のかじ取りをしなければと意を新たにさせて頂きました。

5月2日(月)
やはり悪質な嫌がらせ!午後3時過ぎに同級生の親友から電話があり、「職場の同僚のお母さんが接骨院の待合室で治療を待っていると、みるからに違和感のある男が突然入ってきて加藤市長の悪口を言い、野村の先輩で野村を市長にしたいので宜しくと言い、待合にいる人たちに大声で話しかけ名刺をおし付けていた。野村まことさんてどんな人なの。あんな人と付き合いがある人なの?評判が悪くなるよ。」とのこと。再度確認して頂き千波町で評判の良い斉藤接骨院との場所が特定出来たので謝罪に訪問し、事情を話し事務の方に理解頂く。また警察から当面は名刺や印刷物の管理を徹底して当面対応し、今後の状況を報告することとなる。

5月2日(月)
警察の人に相談し、署の方で検討し対応を指導して頂くこととなる。


 


5月1日(日)
八幡宮にて月始めの神事に参加し一日も早い復興安静と必勝を祈願する。
5月1日(日)
西村会長や泉町の本部事務所、赤塚事務所のスタッフと協議したところ、30日(土)の午後3時35分頃、赤塚の事務所に別の女性の方から「突然チャイムを連呼され、出ようとしたとき、いきなり勝手に玄関を開けて入り込んできて、野村は後輩なんだ市長に出るからよろしく!と言い、野村さんの名刺とリーフレットを置いて出て行った。こちらは子どもを寝かせつけているとか色々な事情があり、チャイムがなってもすぐには出て行けないときがある。突然勝手に他人の玄関に入ってきて、あまりに失礼で常識が無いひとが応援しているんですね。こんな人が応援している人は市長に出る資格はないと思いますよ」と苦情の電話が入り、事務局が丁重に謝罪したとのこと。その女性は事務局との会話の中で少し気持ちを和らげ最後には「後援会関係者と名乗ってこのような常識外れのことをしていることを事務局がわかっているのかと思い電話しました」と話したという。事務局もこうした電話がなければ、後援会関係者と名乗ってどのようなことをしているのか全く知り得ない事なので、電話をいただいたことに感謝。今後は内容をもう少し詳しく把握しその上で状況を判断し被害届の可能性について警察に相談することとする。



4月30日(土)
悪質な妨害か?午後6時12分に事務所からの転送電話が携帯にあり、女性の方から「市長選挙は野村に!どうしても野村市長を!などと言いながら缶ビールを片手に野村まことさんの名刺の束と携帯を持った一見怖い印象の男に強引に呼び掛けられ野村は俺の後輩で応援しているのでよろしく!と迫られ怖くて嫌な思いをした。運動員にあんな人間がいる人は絶対に応援できない。」旨の抗議があった。謝罪の上で、「私の先輩や運動員にそんな人間はいないし依頼もしていない。昨晩も大工町の山口楼の前の酒造組合の方々の利き酒会?で私のリーフレットをかざして乱暴な言葉を吐きながら俺は野村を市長にするため応援している旨の言動を繰り返し、参加者や主催者に迷惑をかけた人間がいたとの連絡があり、悪質な嫌がらせなので警察に相談しようと話しあっていたところ。」と説明、私が野村まこと本人であることを言って、再度謝罪して詳しくお聞きしたところ住所や名前は明かしてもらえなかったが「アパートの住人のみ入れるエントランスの部分に居て、何人もの住人の女性に同様のことをしてたので多分みなさんも相当嫌な思いをしているはず。」「大変な迷惑だし、そちらにとっても大きなマイナスになるはず。早急に対処したら。」とのことなので翌日5月1日に後援会長と協議することとする。



4月28日(木)
常盤神社社務所にて偕楽園・弘道館復興支援の会の設立総会が開かれ、葵ライオンズクラブとして荒川ライオンと野村で出席した。商工会議所会頭であり偕楽園公園を愛する市民の会の会長である和田祐之介を会長に選任し、今後広く賛同者を募り大震災からの復興を支援することを確認したが、参加された方々の関心の高さに感心させられ決意を新たにした。



4月27日(水)
市長・市議会議員選挙の日程が5月29日(日)投票日の案が濃厚となる。大震災の影響により遅れていた水戸市の統一地方選挙の日程は、総務大臣に決定権があり毎週火曜日と金曜日に開催される閣議で決定されることとなっていたので、昨日の結果の情報収集をはかったところ、閣議は連休明けとなるが水戸市の回答通りの決定がなされる予定で作業が進められている模様。市政の停滞解消のためにも一日も早い決定をと言いながらもいざ決定となると残り日にちの少なさを感じ、決意を新たにする。



4月21日(木)
地震の被害が特に大きいと言われていた酒門団地を田口米蔵市議と訪問し現場での説明を受けて愕然とした。「保険会社では全壊と判定された建物(家屋が傾いていて基礎が完全に大きな亀裂が入っていてどう見ても住める状態にない)が、市役所の判定では半壊?となり理解に苦しむ。」とのことなので、市役所の罹災証明での判定はあくまで固定資産としての建物の破損等による調査時点での減価を評価するもので、調査時以降に建物が住み続けられるか?を表すものではなく国が示している判定のルールに基づくために保険会社との違いが出るのは止むを得ないが再判定の申し立ても可能と説明して失礼した。何らかの公的な補償の制度化の必要を強く感じた。



4月19日(火)
回天神社(幕末の天狗諸政の欄に殉職した水戸浪士を祭っていて水戸市の文化財)のの墓碑が震災で倒壊損傷してしまったものを改修するための祈願祭に参加。



4月15日(金)
八幡宮の春季例大祭に参列した。大震災後のため自粛した形で行われたが、厳粛な催事の後の田所宮司さんの挨拶の中で死亡した被災者の話しに触れた時に言葉がつまり涙がこぼれていたことが特に印象に残り、もらい泣きしていた。



4月11日(月)
水戸市役所に行き、6階の議会の自室より私物を引き上げてくる。(震災後16回目の訪問)「夜間になると煌々と明かりがついて職員さんが仕事をしているが危険なのでは?」との声が市民の方から寄せられていたため、職員に確認すると「正確には建物が既存して使用出来ないのではなくて、加藤市長(災害対策本部長)名で市民の危険回避のために出した立ち入り禁止命令で役所の機能が移転している」とのこと。これまでも訪問の度に何度か市役所をのぞいてみた限りではガラス1枚割れていないように見えていたので、本格的にチェックしてみる。エレベーターは3基とも正面玄関の自動ドアも柱も亀裂は見られず、階段の壁など一部の壁面にクラック(小さなもので表面の塗装やモルタル止まりのように見える)があったが大きな損傷があるとは思えなかった。震災を良い機会として建替えてしまうために根拠のない移転をしているのではとの声があるがどうなのか?と職員に尋ねたところ「15日には専門家による耐震調査が行われることになっている。」とのことなので結果も確認してみたい。



4月10日(日)
遠藤泰生隊長率いる大槌市への災害援助隊(カレーライス約5千食を現場で提供する)出発式に参加。AM7時半、梅み月の駐車場に集合した。葵ライオンズクラブのメンバー以外にも中川調理師学校のヴィオラ



2011.04.30

新年度を迎え、慌しい中でも充実感と使命感を感じる日々 

◇4月7日(木)
高橋市長候補ともども招待された南町まちかど交流館での公開意見交換会へ参加。中心市街地を始めとするまちづくりの政策や市長に当選した後の議会運営の対応等について南町の若手経営者たちと意見交換を行う。市庁舎の移転先が郊外建て替えで決まってしまっているとの噂?への考えや、何かと話題になっている古参の市議会議員に牛耳られることへの心配?等の参加者からの質問があった。その中で、『市庁舎は三の丸旧県庁舎を含む駅前から大工町までの既存の建物へ当面は分散して移転する』『市議会の実力者に振り回されることなく意見が対立しても市民の視点で説得し市政運営に努める自信がある』と私が答えたところ野村の発言に対し、高橋候補から『野村と同じで建替えの場所は三の丸庁舎の場所が一番と考えるが、時点で全市的な有識者による検討会を組織して意見を集約して最終的に決定する。』『発言権の強い実力議員が数名いることは分かっていてその議員たちが自分を応援しているので心配されているかと思うが、一歩も譲る気がないので信じてもらう以外ない。』旨の発言があった。「野村まことも高橋候補も同じ考えで安心」と差が無いように思われる旨の発言があったため、『野村は市庁舎の建替えは馬の背台地の中心市街地を公約していて、その中での具体的な場所について検討委員による検討を行うので、同じであれば高橋さんも建て替えは三の丸を第一候補とした中心市街地から外れることないと言い切るべきで、専門家に委ねた結果が郊外に変ってしまったなどということのないよう公約しない限り、野村と同じではない』『剛腕議員に口は挟ませないから大丈夫信用してと言うけれど、高橋さんの親兄弟の経営する会社が水戸市の公共事業等で立派に商いをしていては議員の主張を容認せざるを得なくなることは明白だから、高橋さんが市長でいる間は高橋さんの身内企業は市の仕事から一切手を引くべきで、そうすれば信用できるから宣言したら良いのでは?』と発言し問題提起したが『残念ながら高橋さんからの返答はなかった。』その他も参加者より内容のある質問がなされ充実した意見交換会となった。

◇4月6日(水)
評議員を務めるリリー保育福祉専門学校の入学式に参加しスピーチ。災害や就職難の中でも希望を持ち真剣に学ぼうとする新入生の姿にうたれる。

◇4月3日(日)
地震災害で延期となっていた水戸SSSサッカースポーツ少年団の卒団式に参加。卒団する子どもたちひとりひとりの親へのメッセージを聞き、成長ぶりと団長を始めとした指導者の日頃の努力に感動し頭が下がる。また団員の中から宇宙飛行士を目指し種子島の小学校へ1年間転校する仲間の送別会も行われ、子どもの無限の可能性にも感動させられた。


◇4月2日(土)
監事役を務めるNPO法人ボイス社・障害福祉サービス事業所ボイス社の入社式へ出席、模範ともいえるボイス社の新入社員と迎える仲間たちのひたむきな姿に感動する。福祉行政の在り方と自らの使命をあらためて認識させられた。

◇4月1日(金)
地震災害の影響で延期としていた励ます会の会場がなく余震も続いてい   て落ち着かない中で、「選挙は24日に予定通り行われる」とのデマ情報が寄せられ、市選挙管理委員会や総務省への問い合わせや要望に追われ慌ただしい一日となった。


2011.03.31

選挙期日の見込について。

マスコミ報道を受けての、「2〜6か月の選挙期日の延期が何時になるのか?」の問い合わせが殺到し追われる一日となる。選挙日の2か月延期だと思っていたら大間違いであった。延期することの法律の施行期日から2か月〜とのこと。度々のつまり最短だと5月22日告示→29日投票の公算が一番高いようだ。なぜなら6月10日前に選挙が出来れば、四年後の選挙は全国統一に合わせられるとのことで納得した。もしそうだとすると1か月と5日しか伸びないことになり慌ただしくなりそうだ。早く結論を出して欲しいもんだ。


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